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横浜地方裁判所小田原支部 昭和49年(ワ)299号 判決

原告

永峰浅次郎

被告

増田利郎

ほか一名

主文

被告等は原告に対し連帯して金七七三万一、七六七円及び之に対する昭和四九年一二月二三日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は之を三分し、その二を原告の負担とし、その一を被告等の負担とする。

この判決は原告の勝訴部分に限り仮に執行することが出来る。

事実

原告訴訟代理人は、被告等は各自原告に対し金一、九二〇万八、五九八円及び之に対する昭和四九年一二月二三日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び被告等の主張に対する認否として、

一  交通事故の発生

左の交通事故が発生した。

(一)  日時。昭和四七年一二月三一日午後三時三〇分頃。

(二)  場所。小田原市飯泉一〇三一番地先路上。

(三)  加害自動車。登録番号、8足立く五二四六号。

(四)  加害運転者。増田弘生。

(五)  加害自動車保有者。増田利郎。

(六)  被害者。原告。

二  交通事故の態様

右日時に、原告は普通自動車(相模四そ九一三二号)を運転して国府津方面より小田原方面へ向う途中、右事故現場より三〇メートル手前の三差路で徐行し、更に坂道を上つて行くと、前方を走行中の車両が急停止した。そこで、原告も急ブレーキをかけて前車との距離わずか一メートル位のところで停止し、ほつとしていると加害車両が後方より追突してきたものである。

三  帰責原因

(一)  被告増田利郎は、加害自動車の保有者として自賠法第三条本文により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

(二)  被告増田弘生は、加害車両の運転者として、前方を注視し、前車との車間距離を保つて原告車への追突を避けなければならない注意義務があるのに之を怠り、前述の事故を起した不法行為として、民法第七〇九条により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四  原告の損害

原告は、右事故により、頭部外傷・頸椎捻挫、右前胸部打撲、両手腕関節捻挫、腰椎捻挫、右腰部打撲の傷害を受け、昭和四八年一月九日より同年三月二六日まで七七日間入院し、昭和四七年一二月三一日より昭和四八年一月八日までと、同年三月二七日より昭和四九年二月二五日まで通院治療を受けて休業し、更に後遺症三級相当の症状が固定し、今後終身労務に服し得ない状態となり、別紙損害一覧表記載の通り合計金一、九二〇万八、五九八円の損害を受けた。

五  原告の後遺症の程度

本件の主たる争点は、原告の後遺症の程度についてであるので、以下これについて主張を明確にする。

先ず、奥山繁夫医師の鑑定書は、検査所見(特にL線学的所見)については既ね正しいものと思われる。然し、右鑑定は、レントゲン検査による頸椎・腰椎の異常を重視する余り、神経症状に対する神経学的検査を欠いており、且つ、原告が追突事故の被害者である事実から、簡単に一二級相当であるとの予断をもつて作成された疑いが濃厚であつて、責任ある内容のものであるか否かを疑わせる。

高見圭祐医師の証言及び意見書は、同医師が整形外科の専門医であり、且つ、患者の訴えを十分聴取したうえ総合的な判断を下すタイプの医師である点で、かなり信頼性があると思料されるが、等級は同医師認定の七級より更に上であると考えられる。

米谷晴夫医師の証言及び診断書は、原告を長期間に亘つて加療した結果に基く信頼のおけるものである。即ち、同医師は、本件交通事故の九ケ月後に、小田原市立病院に於て原告に対しレントゲン検査、耳鼻科検査、眼科検査、脳神経的検査を行い、外傷に基く頸部椎間板損傷の外、脳神経症状もあることを見出し、そして、これらの症状が昭和四九年七月にも、また、昭和五一年八月にも続いており、年を経るに従い老化現象による変形性背髄症が加わつて原告の苦しみが増大していること、及び自律神経をも患つているので、整形外科だけでなく、脳神経外科の診察が必要である旨の診断を下しているのである。

大野恒男医師の証言及び診断書等は、信頼度の高いものと思料される。即ち、同医師は、大病院の副院長として多忙の身であり乍ら、昭和四二年三月、昭和四九年三月、昭和五二年五月一三日、同月二八日の四回に亘り原告を診察し、原告の切実な訴えに耳を傾け、過去の診察の不充分さを追及されることもいとわず、納得のいく診察を改めて行つた上、最終的に六級相当の診断を下したのであり、この行為は高く評価されるべきである。然し、真実は、同医師の判定した等級よりも更に重症であると思われるのである。

最後に、小林軍二医師の証言及び診断書等は、最も原告の真実を把握したものと言うべきである。即ち、同医師は、極めて多忙な開業医であり、自らも交通事故の被害者であるため、原告の苦痛の程度を最もよく知る人の一人である。そして、原告が、事故直後はいまだ元気であつたが、一週間後入院してからは次第に苦痛が固定していき、椎間板がつぶれているため、肩から両手にかけて走る痛み、血圧の変動、異常発汗、耳鳴り、難聴、頭痛、飲みこみ困難、記憶減退、歩行困難等の自律神経失調があり、訓練も手術もできぬ状態であつたこと、原告が仕事をするのは最早無理であること、原告の後遺症の中では自律神経失調が一番重く、之を無視した診断書は納得できないこと、之を考慮に入れると原告の後遺症状は二級か三級相当であることを明らかにしているのである。

以上の次第であつて、本件事故の直前まで元気に重労働をしていた原告が、本件事故により一切働くことができず、今なお夜中にうなり続ける程苦痛が激しいことを考えると、原告の労働能力喪失率は一〇〇パーセントであり、小林軍二医師の診断が最も真相を把握したものと言うべきである。

六  よつて、原告は被告等に対し請求の趣旨記載の通り、金一、九二〇万八、五九八円と、之に対する本訴状送達の翌日である昭和四九年一二月二三日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

七  被告等の主張事実中、原告の右主張に反する部分をすべて争う。本件事故は、前方車の急停止により停止した原告運転車に、被告増田弘生が前方不注意により、少なくとも四〇キロ以上の速度で加害車を追突させたもので、同被告の全面的過失によるものである。次に、原告は昭和四一年の交通事故により、一二級相当の傷害を受けて苦しんでいたものの、昭和四二年九月以後は少しずつ働いており、昭和四三年一二月頃には収入もかなり安定し、本件事故の昭和四七年一二月末には既に健康体に戻り、家業に精を出していたのであるから、昭和四一年の事故の影響により原告の現在の症状が生じたと断ずることは出来ない。更に、本件事故前は原告の工場経営がようやく軌道に乗つた時期であり、少くとも一ケ月金一四万円以上の収入があつたとみるべきである。原告の如き家内工場経営者にとつては、所得税額からその収入を引き出すことは困難である。

と陳述した。〔証拠関係略〕

被告等訴訟代理人は、原告の請求を何れも棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁及び被告等の主張として、

一  請求の原因第一項を認める。同第二項は、本件事故現場がゆるい上り坂であること、被告車が原告車に追突したことは認めるが、その余を争う、本件事故は原告車が急停止したので、被告増田弘生も急ブレーキを踏んだが間に合わずに追突したものである。同第三項(一)は、被告増田利郎が運行供用者であることを認める。同第三項(二)は、被告増田弘生の過失を争う。同第四項は、原告がその主張の傷害を受けたこと、その主張の期間入院通院したこと、及び損害に対する既払の点を認める、後遺症の程度、就労不能の主張並びに損害額の点を争う。

二  本件事故は、三差路小田原方面へ三〇メートル進行したところで発生した。現場はゆるい上り坂で、三差路の一方(左側道路)より本件道路に出ようとしていた自動車があつたが、当時は交通量が多く仲々道路に出られないでいた。原告車は右進入車両の右側方を四〇キロから五〇キロ位に速度を上げて通過したので、原告車に追随して被告車も車間距離一五メートル位をおき、原告車に続いて進入車両の側方を通過したところ、前方(本件事故付近)に停止していた原告車の前車(訴外岩村錫男運転)を発見して原告車が急停止の措置を執つたため、被告車も急ブレーキを踏んで衝突を避けようとしたが間に合わなかつたものである。従つて、本件事故には原告にも運転上の過失が存するから過失相殺を主張する。

三  原告の後遺症の程度は、その主張の三級とは到底解し難く、被告等の主張によれば一二級程度と解するのが妥当である。即ち、原告は、当初より自己の後遺症の等級に異常な程の関心を示し、自己に不利益な診断を下す医師に対して異常なまでの不信を持ち、自己の主張を押し通して各医師を転々としているのである。その上、原告が今日訴える症状は、原告の性格に起因する面が多く、本件交通事故に起因するか否か極めて疑わしく、寧ろ否定的に考えられる。

先ず、裁判所の鑑定人として公平忠実に鑑定をした奥山医師は一二級と認定し、高見医師は七級の認定をし、大野医師は六級の認定をしており、後遺症の程度は医師によつてかなり評価の違いがある。ところで、原告は従来より表現が過剰であり、医師の証人尋問期日にはその都度当該医師に連絡などしているので、大野医師も多分に原告の主張に影響され、原告をある程度落ちつかせる意味あいからも等級を上位にしたものと考えられる。更に、小林医師は、自らも交通事故の被害者であつたことから、客観的な診断というよりは、原告の気持を受け入れて主観的な判断のもとに診断書を作成していることが窺われるから、同医師作成の診断書は信憑性がないものと言うべきである。従つて、被告等としては、奥山医師の鑑定が最も妥当であると思料する。然も、原告の後遺症には、昭和四一年度の交通事故の影響も考えられるのであつて、本件事故との因果関係の認定を明確に区別することは不可能と言わざるを得ない。以上により、一二級を超えて被告等に責任を認めることは、被告等が全く関与せざる範囲にまで賠償義務を認めることになり、正義公平に反することは言うまでもない。

四  本件事故年度の原告の申告所得は金七三万一、四〇七円であり、昭和四五年度は金六〇万七、五〇〇円、昭和四六年度は金五九万八、七〇〇円である。従つて、原告の主張する月額金一四万六、五一七円には到底達しない。被告等としては、原告の月額収入(所得)は、昭和四七年度申告所得をめやすにして金六万円乃至金八万円程度と思料する。

と陳述した。〔証拠関係略〕

理由

一  請求の原因第一項の事実、同第二項のうち、本件事故現場がゆるい上り坂である点と、被告増田弘生運転の自動車(以下、被告車という。)が原告運転の普通自動車(以下、原告車という。)に追突した事実、同第三項(一)のうち、被告増田利郎が被告車の運行供用者である事実、同第四項のうち、原告の受傷と病名の点、入院及び通院の点、並びに損害に対する既払の点は、何れも各当事者間に争いがない。

二  よつて先ず、本件事故の態様について案ずるに、何れも成立に争いのない乙第一乃至第三号証、同第五乃至第七号証及び原告本人尋問の結果(第一回)を綜合すると、本件事故現場は、国道二三五号線の小田原市飯泉一〇三一番地先T字路付近であり、原告は原告車を運転して右国道を四方へ向け直進していたものであるが、現場はゆるい上り坂で、T字路の一方(左側道路)より右国道に進入しようとする車両があり、折柄車両の通行がふくそうしていたものの、先行車が右T字路付近を無事通過したので原告車も之に追従し、一七、八メートルの車間距離を保ち乍ら時速約四〇キロメートルで進行したところ、先行車が急停止したため、原告も直ちに急制動を講じてその約一メートル後方に原告車を急停止させたこと、他方、被告増田弘生は被告車(普通乗用車)を運転し、一〇乃至一五メートルの車間距離を保ち乍ら、時速約四〇キロメートルで原告車に追従していたものであるが、よもや原告車が急停止することはないであろうと軽信し、前方注視が稍々おろそかになつたことから、約一二・四〇メートルに接近して始めて原告車の前示急停止の状態に気付き、直ちに急制動を執つたが一瞬ブレーキを踏むのがおくれ、被告車を原告車の後部に追突させて之を前方に押し出したので、原告車は更にその先行車に追突していわゆる玉突の状態となつたこと、そして原告はその際身体に相当の強い衝撃を受けたことが夫々認められ、他に之を覆えすべき証拠は存在しない。右事実によると、原告車と被告車の本件追突事故は、被告増田弘生の前方不注視と車間距離保持義務違反の過失に因るものと認める外はない。

ところで被告等は、原告が原告車を急停止させた措置にも過失がある旨抗争するので検討するに、道交法の改正により昭和四六年六月法第二四条が新設され、やむを得ない場合の外は急ブレーキをかけることが禁止されたことから、原告の執つた急停止にも過失の疑いが持たれないではないが、然し、法第二四条は法第二六条の追従車が車間距離保持義務を軽減する趣旨のものでないと解されるし、また、本件に於ては、原告は先行車の急停止に伴い、之との追突を避けるためようやくその約一メートル後方に原告車を急停止させたのであるから、原告の急ブレーキは危険を防止するためやむを得ない場合のものと認むべく、従つて、法第二四条に違反するものではないと解すべきである。然らば、原告の措置に過失を肯定することが出来ないので、本件に過失相殺は適用されず、この点に関する被告等の主張は排斥を免れない。

三  以上によつて、被告増田利郎は自賠法第三条に基き、また、被告増田弘生は民法第七〇九条に基き、原告が本件交通事故に因つて蒙つた損害を連帯して賠償すべき義務がある。

四  そこで、順次原告の損害の点について検討を加えるに、先ず、何れも成立に争いのない甲第六号証の一乃至四三によると、原告が小林病院に治療費残額として計金四万三、四〇〇円を支払つたことが認められる。何れも成立に争いのない甲第五号証の一乃至五によると、原告が治療のための交通費として計金四、二〇〇円を支払つたことが認められる。次に、七七日間の入院期間中一日当り金三〇〇円の割合により雑費計金二万三、一〇〇円は、格別の立証をまつ迄もなく理由があると言わねばならない。以上合計金七万〇、七〇〇円は本件受傷に因る積極損害として認容すべきものであるが、国立療養所箱根病院分の治療費金五、六一八円については全く立証がないので之を棄却する。

五  入院七七日、通院約一一ケ月に及ぶ症状固定日迄の慰謝料はその主張の通り金七七万円を妥当と認めて之を認容する。

六  次に、休業損害について案ずるに、何れも成立に争いのない甲第三号証の二、乙第八号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第三号証の一、同号証の三、同第四号証の一乃至三及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すると、原告は、大正二年五月七日生れで本件事故当時五九歳であり、従前より旋盤を主にした鉄工所を個人で経営していたものであるが、昭和四一年より昭和四七年にかけて業績は概ね順調であつて、時には一ケ月金四〇万円の工賃(粗収入)を挙げたことがあるものの、本件受傷のため昭和四八年より之を廃業して無職無収入となつたこと、安藤会計事務所の調査によると、昭和四七年一〇月より一二月迄の売上高が金四九万三、〇一四円、費用が金五万三、四六四円、差引金四三万九、五五〇円の利益で、一ケ月平均金一四万六、五一七円の利益と算定されること、及び税務署に対する所得申告額は、昭和四五年度が金六〇万七、五〇〇円、昭和四六年度が金五九万八、七〇〇円、昭和四七年度が金七三万一、四〇七円、昭和四八年度が所得零であることが夫々認められる。他に之に反する証拠は存在しない。ところで、たまたま営業成績の良かつた一ケ月約金四〇万円の粗収入を基準にして一ケ月の平均的な収益を算出するのは根拠に乏しいものであり、また、昭和四五年度より昭和四七年度迄の所得申告額を一ケ月平均にした金五万三、八二二円は低額に過ぎて実情に副わないと考えられ、更に、安藤会計事務所の調査は本件事故前僅か三ケ月間の集計であり、原告の個人企業の実体を的確に把握したものとはにわかに認め難く、他に適切な資料は存在しない。結局、原告の場合は、有職者で現実収入額の立証が困難な者に該当すると認められるから、労働省の昭和四七年度賃金構造基本統計調査報告のうち、産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者五九歳の項、一ケ月金一〇万四、〇〇〇円、一年間の賞与金三六万八、二〇〇円(月額金三万〇、六八三円)を基準とするのが妥当であると解される。然らば、一ケ月計金一三万四、六八三円の一四ケ月分は合計金一八八万五、五六二円であり、これより既払分の金一二〇万円を控除すると残額は金六八万五、五六二円であることが計算上明らかであるから、同金額の範囲を正当として認容し、その余を失当として棄却する。

七  ところで、本件の主要な争点は原告の後遺症の程度についてであるので、以下之について判断する。

(一)  先ず何れも成立に争いのない甲第二号証の一、二、乙第一一乃至第一五号証、証人大野恒男の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すると、原告は、本件以前にも、昭和四一年五月二一日自動車の助手席に同乗していて本件事故と同様の追突事故に遭い、所謂「むちうち損傷」の傷害を受け、昭和四二年一月二六日労働者災害補償保険第一二級(以下、労災何級と称する、等級は自賠法施行令別表後遺障害等級と同じ、以下、自賠何級と称する。)と認定されたこと、原告はその後約九ケ月間右受傷のため充分に稼働することが出来なかつたが、漸次恢復に向い、本件事故前は自ら自動車を運転し、重い鉄類を持ち運び、家業の鉄工所経営に精を出していたこと、本件事故後に於て原告は担当の医師に対し、前回の「むちうち症」は事故の翌年の昭和四二年一月に全治したと述べているものであるところ、小林軍二医師は之を真実であると認めてその旨を診断書に記載し、高見圭祐医師は前回の事故と本件事故後の疾病との因果関係は証明困難である旨を意見書に記載し、大野恒男医師は前回の事故と本件事故の後遺症とを区別することは殆んど不可能である旨を証言していることが夫々認められる。

(二)  何れも成立に争いのない甲第二号証の三、四、同第七号証の三、同号証の五、同第九号証の一及び証人米谷晴夫の証言を綜合すると、原告は昭和四九年七月三日整形外科医米谷晴夫医師より身体障害者福祉法別表第三級(以下、身障者何級と称する。)の認定を受けてその旨の身障者手帳を交付され、更に昭和五一年八月一九日同医師より身障者第二級の認定を受けてその旨の身障者手帳を交付されたこと、及び原告の障害は頸部背椎症性背髄症による四肢痙性麻痺と認定されたことが夫々認められる。

(三)  鑑定人横浜市立大学医学部助教授奥山繁夫医師は昭和五一年五月二七日付で、原告の後遺症は労災第一二級一二号(自賠第一二級一二号)に該当し、頸椎及び腰椎部のレントゲン線所見は一般的な加令による椎体の変形性変化と区別し難く、原告の職業及び年齢を考慮すれば本件交通事故による外傷性変化とは断じ得ず、寧ろ否定的である、旨鑑定している。

(四)  弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第一〇号証によると、東京厚生年金病院医師森健躬は昭和五〇年五月二四日付で、原告が受傷直後より入院治療を受けた小林軍二病院の診療記録に基き、原告の後遺症をせいぜい第一二級一二号までの範囲であると判定し、その旨の意見書を作成したことが認められる。

(五)  前顕甲第二号証の一及び証人高見圭祐の証言によると、秦野赤十字病院医師高見圭祐は昭和四九年六月一九日に、原告が治療を受けた小田原市立病院のカルテ等を参照した上、直接原告を診察し、原告の後遺症を労災第七級(自賠第七級)と認定し、その旨の自賠責保険後遺障害意見書を作成したことが認められる。

(六)  成立に争いのない甲第一〇号証及び証人大野恒男の証言によると、関東労災病院脳神経外科医師大野恒男は昭和五二年五月二八日付で、原告の後遺症を神経学的欠損症状として労災第七級四号、耳鳴りは労災第一二級一二号、繰上げて労災第六級(自賠第六級)と認定し、その旨の診断書を作成したことが認められる。

(七)  前顕甲第二号証の二、何れも成立に争いのない同第七号証の一、二、同第一二号証、同第一四号証、乙第四号証、同第九号証の一、二及び証人小林軍二の証言(第一、二回)を綜合すると、小林病院々長医師小林軍二は、本件事故の直後より原告の治療に当つた医師であるが、自己も交通事故に因りむちうち損傷を受けて現に苦痛を味わつている体験をふまえ、原告の後遺症のうち特に自律神経失調証を重要視し、昭和五四年三月七日付で自賠第三級が相当である旨の交通事故後遺症診断書を作成したことが認められる。

(八)  更に、成立に争いのない甲第七号証の四によると、国立療養所箱根病院医師村上慶郎は昭和五一年八月一一日に、原告が変形性背椎症及び自律神経失調症であると診断してその旨の診断書を作成し、成立に争いのない甲第一一号証の四によると、社団温知会間中病院医師間中信也は、昭和五三年四月一五日原告を頸椎捻挫と診断してその旨の診断書を作成し、成立に争いのない甲第一一号証の三によると、医師岡部義一は、昭和五三年四月一七日原告を高血圧症と診断してその旨の診断書を作成し、また、成立に争いのない甲第一一号証の五によると、小田原保健所医師前田弘は、原告の昭和五三年五月二九日と同月三一日の血圧を測定してその結果を記載した診断書を作成したことが夫々認められる。

以上の次第であつて、原告の後遺症に対する各医師の評価は自賠第三級から自賠第一二級に亘り、その間に相当な格差がある。各医師が夫々誠実に診断を下し、且つ厳密に障害等級を認定したであろうことは些も疑念の余地のないところであるが、このように各医師により評価の差異を生じた原因について前顕各証拠を綜合して考えてみるに、先ず医師の専門分野、経験年数、検査方法、症状に対する重点の置き方等の医師側の面と、診察の主な対象が、車両の追突事故に因るむちうち損傷という、医学的に未だ充分究明されておらず、問題点が多いとされる疾病自体の面と、更に、被害者の原告が障害等級の認定に異常な関心を示し、且つ賠償を強く要求する性格であり、然も医師に対する訴えが多くて表現が過剰であるという心因的な面とが交錯していることに因るものと推測される。

ところでむちうち症を主因とする交通事故の損害賠償請求事件に於て、被害者の持病や体質的素因、心因的要素等の影響などにより予想外に治療が長期化し、そのための治療費が高額化したり、或いは事故の程度に比し意外に重い後遺症が残つたりする場合が結構多い上に、被害者の訴えに比して他覚的所見に乏しかつたり、被害者が転医を繰返えしたり、ときには詐病を疑いたくなるような事情が見られたりする許りか、事故と症状との因果関係や、後遺症の程度の評価につき医学的な見解の対立がみられるのは、屡々生起する問題であり、寧ろ周知とも言うべき事柄である。

そこで検討するに、原告が本件受傷後に年来の家業を廃業して無職無収入になつたこと、事故後身障者第二級の認定を受けてその旨の身障者手帳の交付されたこと、追突事故に因る「むちうち症」は頭蓋骨内の脳にも打撃を与える訳で、決して頸椎だけの病気ではないのであるから、精神障害または神経系統の障害の発生が予想されること等の点は、原告の後遺症が決して軽度のものでないことを推認させる。その反面、昭和四一年五月の交通事故の影響がないとは断定出来ないし、加齢による老化現象も無視出来ないであろうし、また、原告の職業が重量物を運搬し、且つ騒音を発する機械を運転するものであることも大いに関係があると思料されるし、更に、賠償性神経症とまではいかないまでも、心因的要素が加わつていることも否定し得ないと考えられる。而して、追突事故によるむちうち損傷の場合、非常に重症な場合でも自賠第七級が妥当であつて、そのような例は決して多いものではないと一般に考えられているところである。従つて、之等を綜合して勘案すれば、原告が主張する終身労務に服することが出来ない程度の自賠第三級と言うのは、原告の現在に於ける客観的主観的症状のすべてを本件事故に帰せしようとするもので、そこまでは未だ本件交通事故との間に医学的な因果関係が明らかにされていないと考えられる次第であつて、結局、原告の後遺症は、軽易な労務以外の労務に服することが出来ないとする自賠第七級に該当すると認めるのが相当である。

八  然らば、後遺障害に対する慰謝料は、今回の加重障害と認められる自賠第七級の保険金二〇九万円より前回の自賠第一二級の保険金五万円を控除し、その残金二〇四万円の八割である金一六三万二、〇〇〇円が相当であると思料されるので、右の範囲を正当として認容し、その余を失当として棄却する。

九  最後に逸失利益の現価は、一ケ月の収益金一三万四、六八三円の一年分の金一六一万六、一九六円、労働能力喪失率五六パーセント、六一歳の就労可能年数のホフマン係数六・五八九の相乗積である金五九六万三、五〇五円を相当と認め、右の範囲に於て正当として認容し、その余を失当として棄却する。

一〇  以上合計金九一二万一、七六七円が原告の損害の残額であるところ、原告は既に自賠責保険より金二〇九万円を受領しているので、残金は金七〇三万一、七六七円となる。

一一  更に、右残金に対する約一割の金七〇万円を本件事故と因果関係のある弁護士費用と認めて之を加算する。

一二  果して然らば、被告等は原告に対し、連帯して総計金七七三万一、七六七円と、之に対する本訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和四九年一二月二三日より完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。よつて、本訴請求を右の範囲に於て正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用した上、主文の通り判決する。

(裁判官 石垣光雄)

損害一覧表

一 治療費、交通費残額(被告等支払済の小林病院治療費金一二一万三、九二〇円、コルセツト代金一万〇、五〇〇円、交通費金五万七、〇八〇円、計金一二八万一、五〇〇円を除く残額)

(一) 小林病院治療費残金 四三、四〇〇円

(二) 交通費残金 四、二〇〇円

(三) 追加治療費(昭和五一年七月二八日国立療養所箱根病院分) 五、六一八円

計 五三、二一八円

二 休業補償(後遺症固定の日まで)

昭和四八年一月より昭和四九年二月まで一四ケ月分(一ケ月の収入金一四万六、五一七円)のうち、被告等支払分金一二〇万円を除く残額 八五一、二三八円

三 慰謝料

(一) 症状の固定の日迄(入院七七日、通院約一一ケ月)の慰謝料 七七〇、〇〇〇円

(二) 後遺症による慰謝料(三級相当) 六、二七〇、〇〇〇円

計 七、〇四〇、〇〇〇円

四 入院雑費(七七日分、一日金三〇〇円) 二三、一〇〇円

五 逸失利益(後遺症三級)

一ケ月の収入金一四万六、五一七円×一二ケ月×労働能力喪失率一〇〇パーセント×ホフマン係数六・五八九(就労可能年数七・二年) 一一、五八四、八〇六円

六 以上合計金一、九五五万二、三六二円より自賠責保険よりの受領額金二〇九万円を差引いた残額、 一七、四六二、三六二円

七 弁護士費用(右の一割) 一、七四六、二三六円

八 総計 一九、二〇八、五九八円

以上

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